株式会社タグチに入社して6年弱。退職の運びとなりました。
こんな僕を拾ってくれた社長ありがとうございます。
こんな僕に愛想尽かさずお店に来て商品購入してくださったお客様ありがとうございます。
こんな僕をパーソナルトレーナーとして指名してくださるお客様ありがとうございます。
「私のことが嫌いでも、トレイルフェストは嫌いにならないでください。」
的な、気持ちでございます。笑
そんな僕ですが、退職し数日経ち、
今までと違う晴れやかな気持ちと、
独立したんだから自分でやっていかねばという緊張と、
冷静と情熱の間で揺れ動いております。
ただ、せっかくの一区切りのときなので、
今までの会社員生活をまとめておきたいなと思います。
これがそのままトレイルフェストの歴史なので、
懐かしくも嬉しいような、そんな気持ちでつづっていきたいと思います。
生意気入社時代
26歳の僕は、「自称、個人事業主」に陶酔していました。
イベント会社から仕事を受注して、今までで一番高い給料をいただいて仕事をしていたのですが、
イベントが終わったとき、
「こんな成果物で僕はこんなお給料貰っていいのか?」
「こんなんじゃあ、個人事業主で仕事したってことにならへんやん。」
そんな思いで打ちひしがれておりました。
そして、そのイベント会社の直属の上司的な人から、
「次回挽回したらいいやんけ。だからそのまま継続しても良いし、
もし個人事業主がしんどかったらイベント会社の社員になることも融通利かせるぞ。」
と言ってもらえてましたが、そこに甘んじたら僕は成長しないと思い、
断腸の思いでお断りしました。
「今お世話になっている人たちに囲まれてそのまま仕事を続けたら、個人でやっていくことはできなくなる。
どこか別の会社に入社して、ちゃんと社会人としての力を身につけなければこれからを生き残っていけない」
と当時考えていました。
ほんとは大学生のときからずっと夢にまで見た、
「スポーツイベントで飯を食っていく」
ということがそのイベント会社に入れたら叶うのに。。。
何を血迷ったか、
この後僕は、FBの友達の中でスポーツ関係の仕事をしている人を探している中で大学生の時から知り合いだった、
「田口 穣」
を見つけてしまいました。
これが今考えると運の尽き、、、、
いや、人生最高の幸運だったと思います。笑
早速、田口さんに
「かくかくしかじかで、スポーツ関係、特にスポーツイベントで何かしたいんですが、知り合いにスポーツ関係のこういう人いないですか?
紹介して欲しいです。」
と連絡していました。
そして、一回会いに来いということで、
タグチスポーツのバックヤードに行った僕に、
穣さんは開口一番、
「で、いつからうちで働くん?」
(あれ?この人日本語通じない人なんかな?)
と思いながら、僕は、
「いや、メッセージしたとおり、スポーツ関係の人紹介して欲しくて来たんです。
できればイベント系のことしたいな~なんて。」
(絶対田口さんとは性格合わへんし、それだけは絶対無い。絶対。)
頭で思っていることをいかに言わないように、知り合いを紹介してもらうかがめちゃ苦労したことを覚えています。笑
でも、そんな僕の思いとは裏腹に話が勝手に進んでいきます。
田口「いやいや、相談に来るってことはうちに入りたいってことやろ?
俺はそのつもりで準備してんねん。
篠山で店やっててんけど、それまた新しくトレランとランニングの専門店で立ち上げるからそこの店やってくれや。」
(は?店の立ち上げ?よくわからん。急に何言ってんの?
ランとトレランの専門店?あの田舎の篠山で?大丈夫なんこの人。。。。)
荘司「え~っと、僕今京都に住んでて、
京都か大阪で仕事したいんですけど。。。」
田口「お!ええな!ほな来年は京都出店しよ!お前ええこと言うやん~。
で、いつから働けるん?」
(マジか!この人ほんまに日本語通じひん人やん。
遠まわしにここで働きたくないって言うのが全て通じてない!)
荘司「え、え、え?(軽くパニック)
(とりあえず、1年篠山で我慢したら京都で仕事できるっぽいし、とりあえず流されてみるか。)
ほ、ほら、、、いいこと言うでしょ!
え、え、えーっと、、、
(今2月で、3月は遊びたいから、、、)
4月からで!」
田口「なんでやねん!1ヵ月半何すんねん!こういうときは今すぐ働けや!」
なんとか、この後も押し問答を繰り返しながら、
無理やり4月入社を獲得したのでした。。。笑
トレイルフェスト篠山店立ち上げ~移転
訳もわからず、人生で初めてお店の立ち上げというものをやって、
訳もわからず、毎日意味のわからない数のネット注文を1人で受注して梱包して発送して、
知ってる人は知っている、穣さんは基本何も教えてくれないし、店にもいないので、
グーグル先生に聞いたりしても仕事が終わらず帰れないから店にダンボールを敷いて寝たりして仕事してました。笑
社長「店をただ開けてるだけで人が来るわけないやろ!イベントせぇ!」
と怒られ、無理やりイベントをやっても、
集客1名。シューズの購入1名。(成約率100%!!!笑)
ということもありました。笑
そんなこんなで必死にやってもやってもわからないことだらけ、
知らないことだらけ、
できないことだらけであっという間に1年近くが過ぎようとしていたとき、
僕はもう社長から見捨てられていました。笑
社長「京都の出店計画できてきて、4月にオープンするけど、
そこに荘司は呼ばへんことにした。
お前はタグチスポーツで道太(社長の弟さん)と働け。」
という最後通告を受けました。笑
(このくそ社長、京都出店をえさに入社させたくせに、行かせへんってどういう詐欺やねん!)
とはらわた煮えくり返るくらいぶち切れて、
このときやめようと1万回くらい思ってました。
ただ、今までの経験上、こういう感じで辞めたときって大概その後もうまくいかないんですよね。
自分が仕事できひんくて、欲しい成果を得られなかっただけなのに、人のせいにして勝手にキレて辞める。
それで辞めてたら、また次のところでも同じ繰り返しをするだけ。
そう思って、
「よし、腹くくって、丹波で家借りて、道太さんに認められて、
社長にも認められて、あっちから『すまんかった荘司、京都来てくれ』って言わしたんねん」
と2月ごろ、丹波で初めて家を契約しました。
半年は住んでもらわないと違約金高いんですけど、その分月々の家賃はお安めですと言われ、
(こっちは1年は本気でタグチスポーツで働くっちゅーねん!!)
と半ばやけくそ、ほぼやけくそになって契約に言ったのを覚えてます。笑
トレイルフェストランニングカンパニー京都出店!
トレイルフェスト篠山店から京都へ移転出店する際、
【トレイルフェストランニングカンパニー】
という名前に変身し、準備は着々と進んでいきますが、そこに僕の姿はありません。
僕は、野球専門店となっているタグチスポーツで、
サッカー畑で育ってきたのに、グラブの湯もみ加工というのを教わっていました。
社長が店に来たら、
「これ見てください。初めてやってみたんです。」
と見せてアピール。
(はよ京都に行きたいがために今グラブ叩いとんのじゃ!)
と半分怨念じみた気持ちで仕事をしてた気がします。笑
いつの間にか寒さが和らぎ、いつもの花粉症の季節がやってきて、
桜を楽しみたいけど、花粉症辛いというときに急に社長からメッセージが来ました。
社長「あかん、トレフェスオープン間に合わん。荘司京都来い。」
確か、4月頭か3月末あたりだったでしょうか。
キタ~~~~~~~~~~~~~~~!!
という気持ち2割、
家の違約金~~~~~~~~~~~~~~!!
8割でした。笑
何でこの人は僕の決断をあっさりひっくり返していくのか。
いまだに謎です。
そして、2017年4月15日のオープンに向けて直前の1週間は、
毎日7時に出勤して22時まで社長と店作りをして、
一緒に社長の家に帰って、奥さんが作っててくれたご飯温めて二人で食べて、
社長は自分だけかっぱえびせん食べて、
お風呂入って、
寝て、
また2人で出勤して店作って、
という日々でした。
何とか店のオープンが間に合って、
僕は家を京都に借りようと探していたら、
「とりあえず、俺が家借りて中谷(元トレフェススタッフ、現プロトレイルランナー)住ませてるところに2人で住めや。」
と言われ、言ってみたら6畳くらいの1K。
(こんなところに、こんなムキムキのやつと住まなあかんの?)
と、困惑している中谷を目の前に言えず、
すまんなぁ~と居候。
くそでかいDJの機材と、中谷のシングルベッドのすき間に布団引いて肩身狭く1ヶ月ほどムキムキの男と同居生活。
ただでさえ高い違約金を丹波の賃貸を出るときに払い、
さすがにずっとこの生活も嫌だと京都に家を借りたら、
「お前、そういうのは俺に相談してから借りろや。相談無かったから家賃補助なしな。」
このとき、僕が侍で刀持ってたら、背中見せた隙にバッサリいってましたね、確実に。笑
そんなこんなでトレイルフェストが始まっていったのでした。
スローハイクカフェからの高地トレーニングジム
2019年6月29日
僕は、麻婆豆腐を作っていました。
「あれ?何で僕はスポーツショップで働いていたのに、麻婆豆腐作ってるんや?」
スローハイクカフェという新業態の飲食店の立ち上げにまた、駆り出された僕は、
「元焼き鳥屋で4年バイト経験があり、中谷より配膳時こぼすミスなさそう」
という理由でスローハイクカフェでも立ち上げをすることに(させられることに)なりました。
そして、現トレイルフェストプラスのスタッフである中村さんが採用されるまでの間、飲食店をしながらたまにトレイルフェストで物販したりと2店舗見ておりました。
当時社長は嬉しそうに、
「お!荘司スーパーバイザーおはようございます!」
とか言ってましたが、社長は僕に何をさせたかったのか今でも謎です。
ただ、こんな感じでどんどん自分でも知らない間に
「何でも大体自分でやる能力」
が少しずつ養成されていっていたような気がします。
そして、2020年2月。
京都マラソンを走った僕の背後からやってきたのは、コロナ禍でした。
物販も大変。
イベントも大変。
飲食店も大変。
まさに八方ふさがりというか、
あの世の中がバイオハザードの世界になったかのような街の空気感は今でも忘れられません。
あの京都河原町に人が誰も居ない、
錦市場を日中全力疾走できる。
そんな京都は京都じゃないでしょ!笑
毎日、トレフェスに出勤しては、
何をどうしたらいいのか。
SNSを使ってオンラインショップで購入してもらえるように発信してちょっとは売れるけど、
そもそも大会無いのに商品買うわけないですよね。
売り上げは3分の1以下になってました。
2020年11月頃だったと思います。
社長から急に電話がありました。
社長「こんなこと電話で言うことやないんやけど、高地トレーニングジムする気ある?」
(あ~いつものやつね。もう答えも決まってて、ハイしか言えへんやつね。)
もうこの頃には僕は社長と阿吽の呼吸で仕事ができる気がしていました。笑
荘司「高地トレーニングジムですか。それ、やりましょう以外の答えないでしょ?
いつやるの、今でしょ。」
と冗談言いながら返事できるくらい余裕ができてました。笑
まぁ、そこからが大変でした。。。
高地トレーニングジムの立ち上げほんとに大変でした。
今まで以上にというか、
ほぼまったく社長は無関与。
毎日進捗報告をメッセンジャーでするのみ。
たまに見に来ては、
「何でこんなに進んでへんねん!」
それだけでした。
来る日も来る日も次何をしたら言いのか、
高地トレーニングジムのメニュー作成から、定款作り、
実際にマシンが納品されても、部屋が低酸素状態にならず、
どこに穴が開いてるか探すためアルバイトの子と線香炊いて夜な夜な煙の動きを見たり。。。笑
挙句の果てには、まったくお会いしたことも無いのに、
社長から
「群馬でRUNGRY(https://tk-rungry.com/)ってお店してる白川くん良い人やから何か聞いてみ」
と言われ、藁にもすがる思いで
低酸素にならへんの助けて~~~~って失礼なメッセージして、
めちゃくちゃ丁寧に返信してくださって、
オープンの時にはお花まで贈ってくださいました。
白川さん、改めて、本当にあの時はありがとうございました!!
本当は2021年2月8日にオープン予定だったのですが、
全然準備が間に合わず、
1週間オープンをずらして、
2月15日にオープンを決めたときも社長から、
「オープン日決めてオープンできひんかったのはお前が初めてや。」
と言われても、
社長の初めて奪ってやったぜ、って思うくらい開き直っていました。笑
イベントや練習会で講師として教えたり、
パーソナルレッスンという名前でパーソナルトレーニングはしていたので、
オープンしてからの仕事は違和感無くできました。
ただ、このときから少しずつ、
「このまま会社に居て良いのか?」
という思いが強くなっていたのは確かです。
社長の無茶振りへの対応が超上手くなっているだけで、
入社時に思っていた、
【個人でやっていくための力をつけたい】
ということになっているのか、疑問を感じるようになっていました。
でも、どうしてもこのブログの冒頭で書いたように、
26歳のイキッてた僕の自称個人事業主での失敗が、
自分の中に恐れとして強く残っていました。
「こんな状態じゃあ、まだまだ個人として生きていけるわけが無い」
そう、ずっと自分を洗脳していたように思います。
そして、退職へ
2021年11月頃、またしても社長から電話がありました。
社長「多分、河原町の店閉めて、プラスに統合することになると思う。」
そこから僕は、ずーっとプラスに統合してからの自分の働き方を考えてきました。
社員として中村さんがいる、
社長も週2~3日はパーソナルをやっている。
そこに、僕が居る。
うん、働きづらい!笑
だって、今までは物販だったから社員2名とアルバイトやお手伝いスタッフさん入れて仕事してましたが、
パーソナルジムに社員と社長3人ぎゅうぎゅうでいても、
トレーニングする人いなかったら、そこに居ても邪魔ちゃいますか?笑
そこで僕は意を決して、社長に相談しました。
それが、年末のKGRも終わり、
2022年、年始の仕事が始まってすぐのことでした。
荘司「社長相談があるのですが。」
社長「なに?」
荘司「トレフェスのときは店長手当てがついてたと思うんですが、
プラスに統合したら店長じゃなくなると思いますし、
給料は減給のままでいいので、、、、、
今までより休み多めにちょーだい!!」
社長「いつまでもその場所に居たらお金もらえるという考えを捨てろ」
荘司「それはわかってます。だからそんな毎日ここに出勤して、
テキトーに仕事こなしながら給料貰うという働き方が見えなかったんです。
だから休み増えへんかな~と。」
社長「わかった。ちょっと考える。」
そして、翌日、社長から
AプランとBプランを貰い、僕は迷わず、
Bプランの成果報酬型でパーソナルのお客様のトレーニング時のみ出勤
ということを決断しました。
そのときは深く考えてなかったのですが、
これで正社員という守られた立場から、
業務委託という個人として仕事をいただく立場に変わります。
でも、トレイルフェストで仕事をしていることには変わりないですし、
社長と仲悪いん?とか、
社長と喧嘩したん?とか、
心配のお声をいただいているのですが、
こんな感じで、今まで何度か刀で切り付けたいと思ったことはあれど、
押しなべて仲は良いのでご安心ください。笑
社長のvoicyでもトレイルフェスト閉店について語られてますが、
まさに個の集合体がこれからの強い組織になるというところがポイントですね。
https://voicy.jp/channel/2079/273033
なので、
【寂しい別れ】
という独立ではなく、
個としての能力をさらに高めて、
強力な組織を作る1人となるための独立という感じ。
まさに、サッカー日本代表で、W杯優勝するために、
個としての能力を高めてチームに貢献するために海外移籍的な。
良い様に書きすぎですね。笑
でもそんな感じで、孤独な独立というのではなく、
個人としての能力を高めて、
また組織に還元できるようになれたら良いなと思います。
そうすればおのずと喜んでくださるお客様も増えると思いますし。
日々精進あるのみ。
では!